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【古典力学】第05講 古典力学の基本法則

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第05講の導入

いよいよ古典力学における基本法則について考えていきましょう。まず、静力学と動力学について述べた後、ニュートン力学がどのように発展していったのかを解説します。

静力学から動力学へ

私たちは、物体が動かず運動が起こらないのは、物体にはたらいている力が無いか、あるいは複数の力がつり合うことで互いに打ち消しあっているためであると考えています。力のつり合いを議論する分野を静力学(statics)と言います。例えば、古代ギリシャ時代にアルキメデスが発見した梃子の原理や浮力の原理はこの静力学の範疇です。

一方で、力がつり合っていないときに物体に生じる運動を定量的に把握し、予測する分野を動力学、あるいはダイナミクス(dynamics)と言います。16世紀後半から精密な実験や観測と論理的な考察に基づいた、近代的な自然科学が興り、ガリレオ・ガリレイの落体の法則、ヨハネス・ケプラーの惑星運動の法則、そしてアイザック・ニュートンの力学法則へと昇華していくのです。

このような歴史的観点から言えば、古典力学の解説は静力学から始めるべきだという考えもあるかもしれません。しかし、今日の一般社会における理科的教養の状況を鑑みると、このような始め方は必ずしも初学者が理解できる流れとは言えません。古典力学が確立した今、運動学、すなわち、動力学において、力について議論をすることは敢えて後回しにして物体の振る舞いのみを議論することに焦点を当てるということから始める方がより多くの人が受け入れやすいと筆者は考えました。このような考えに基づいて第2講と第4講で運動学の初歩を解説してきましたから、この第05講ではニュートンが述べた古典力学の基本法則についてまとめたいと思います。

ニュートンの運動法則

アイザック・ニュートンは1687年に『自然哲学の数学的諸原理』において古典力学の基礎となる運動法則や万有引力の法則などを提唱しました。ここでは、運動法則として発表された古典力学の基本法則について述べます。以後、この基本法則をニュートンの運動法則と言います。ニュートンの運動法則は3つに分けられるため、これを順番に解説していきます。

まずは第1法則です。

  • 第1法則:慣性の法則
    いかなる物体も、力がはたらかなければ、静止するかまたは直線上で等速運動を続ける。

第02講で解説したように、ガリレオ・ガリレイは斜面上のレールを用いて球を転がす実験を行いました。このときガリレオは下り斜面をおりた球がそれに続く上り斜面を登ろうとすることから、斜面の傾きが0の極限において、物体は止まろうとするのではなくむしろ等速運動を続けようとすると考え、運動状態の変化しにくさを慣性(inertia)と呼びました。この第1法則はこうしたガリレオの考察を整理したものだという事が出来ます。

次に第2法則です。

  • 第2法則:運動の法則
    物体の運動の時間変化は、物体にはたらく力に比例し、その力の方向に起こる。

さて、今後しばらくの間は物体を質量$m$を持った大きさの無視できる点であると近似しましょう。このような点のことを質点と言います。このとき、運動の法則に依れば力$\bm{F}$、質量$m$、加速度$\ddot{\bm{r}}$は以下の関係を満たします。
\[
\bm{F}=m\ddot{\bm{r}}
\]
というより、力と加速度を結ぶ比例係数を質量と呼ぶことにした、という言い方の方が適当かもしれません。ともかく、この方程式をニュートンの運動方程式と言います。今後しばらくの間は単に運動方程式と言う事にします。さて、運動学の内容を思い出すとこの方程式は以下のように書き換えることが出来ます。
\[
\ddot{\bm{r}}\coloneqq\frac{d\bm{v}}{dt}=\frac{\bm{F}}{m}
\]
この方程式を解くことがニュートン力学における最大の問題になるわけです。また、速度$\bm{v}$を用いて運動方程式を以下のように書くこともありますので慣れておいてください。
\[
\bm{F}=m\dot{\bm{v}}
\]

最後に第3法則です。

  • 第3法則:作用・反作用の法則
    2つの物体が相互作用するとき、作用と反作用の力が生じる。それらの力は大きさが同じで、向きは反対である。

物体1、2において1が2に及ぼす力を$\bm{F}_{12}$、2が1に及ぼす力を$\bm{F}_{21}$とすると第3法則は$\bm{F}_{12}=-\bm{F}_{21}$と表現出来ます。

例えば、人は歩くときに地面を蹴って地面を押し、地面からその反作用を受けて人は前に進みます。あるいは、机に本を載せたとき本には重力が働き、それを打ち消すように垂直抗力が机から働いています。

第1法則の意義とガリレイ変換

第2法則において、力が働いていない状況を考えてみます。すなわち、$\bm{F}=\bm{0}$とすると運動方程式は以下のようになります。
\[
\frac{d\bm{v}}{dt}=\frac{\bm{F}}{m}=\bm{0}
\]
これより$\bm{v}=(一定)$となりますが、これは物体が等速直線運動をしている、あるいは静止している状態をあらわします。こうすると何だか第2法則から第1法則が導出できるように見えますね。では、一体第1法則が必要な意義は何なのでしょうか?

例として、自転している宇宙ステーションの中で物体を投げるということを考えてみましょう。このとき、宇宙ステーションに固定された座標系から見れば投げられた物体は回転運動を行うように見えます。しかし、これはニュートンの運動法則に反することになりますね。

実は第1法則の主張は「力を加えないときに物体が静止している、あるいは等速直線運動を続けるように見える座標系を選ぶことが出来る。」というものなのです。このように第1法則が満たされている座標系のことを慣性系と呼びます。

また、1つの運動している物体に対して慣性系は無数に選び方があります。次にこれについて考察してみましょう。空間上の点の位置を1つの慣性系で$\bm{r}_A$とあらわし、もう1つの慣性系で$\bm{r}_B$とあらわすことにします。B の座標系の原点がA の座標系から見て一定の速度$\bm{u}$で移動する状況では、2つの位置ベクトルには以下の関係が成り立ちます。このようなときの速度$\bm{u}$を相対速度と言います。
\[
\bm{r}_B=\bm{r}_A-\bm{u}t
\]
このように、2つの座標系を等速度ベクトルを用いて上のような式で結ぶような座標変換をガリレイ変換と呼びます。$\bm{u}$の各成分は定数ですから、ガリレイ変換の式を$t$で2回微分して、両辺に質量$m$をかけると以下の式が成り立ちます。
\[
m\ddot{\bm{r}}_A=m\ddot{\bm{r}}_B
\]
よって、これら2つの慣性系で力は等しくなると言えます。そして$\bm{u}$は任意の等速度ベクトルなので1つの運動している物体に対して慣性系は無数に選び方があると言えるでしょう。これは、任意の一定な相対速度$\bm{u}$で移動する2つの慣性系においては、運動法則が共通であることを意味しています。すなわち、ガリレイ変換で結ばれるあらゆる慣性系において物理法則は不変であるという事が出来ます。これをガリレオの相対性原理と呼びます。

例えば、第04講でサイクロイド運動の解析をしたときの$x$、$y$は、実は静止している観測者からみた点の位置を表していました。高さ$R$で、$x$軸方向に$R\omega$の速さで運動している観測者から見れば運動は円運動の式になります(確認してみてください。)。

第05講のまとめ

最後に一言コメントをして第05講を終わりにしましょう。この講座ではあまり科学史について述べることはしませんが、今回だけ特別に少しお話しします。ガリレオ・ガリレイの時代の科学革命における功績の1つとして天動説から地動説への変遷があります。ニュートンの運動法則の第1法則が述べている、「慣性系は無数に存在する。」という主張は、暗に、取りうる全ての慣性系はみな平等であり、特別な慣性系など存在しないということを示しているのです。これはニュートン力学が天動説的な考えではなく地動説的な考えを要求していると言う事が出来るでしょう。

ところで、「天動説は間違っていて地動説が正しかった。」というのは少し違います。先程示したように、慣性系は宇宙の中に無限に存在しているのです。歴史的に言えば、ニュートン以前のキリスト教文化では地球が宇宙の絶対的中心と考えられていました。しかし、神が創ったとされるその状況を人間は理性で知ろうとしました。これこそが自然科学の起こりです。ニュートンが発見した自然法則というのは、慣性系は無数に存在し、優劣などは無く対等であるという考え方だったのです。ガリレイによる実験、ケプラーによる解釈、ニュートンらによる力学的説明、この流れは人間の世界観の変遷、すなわち物事に対しての見方の変化そのものでした。元々、キリスト教によれば宇宙の中心は地球だった、すなわち神が創った宇宙において地球は絶対的な中心であり、そこに人間を創ることによって宇宙の構造が整えられたとされていました。これに対してニュートン力学では座標系や慣性系は全て対等であるという相対化の思想が見て取れるのです。

天動説から地動説への変遷は、天動説が間違いと分かったから起こったのではなく、世の中の捉え方として地球が絶対的な中心でなければいけないという時代から、他のところを中心にして見ても物理学的に全く同等であるという考え方が支持される時代への変遷が背景にあるのです。

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